1844「塾長さんの琴線に触れた言葉シリーズ、その2」

 

アドラー心理学より(まだまだ続きそうです)

 

「すべての悩みは対人関係」

なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないのか。

他者から嫌われ、対人関係の中で傷つくことを過剰に恐れているから。

目的は、他者との関係のなかで傷つかないこと。

悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない。

孤独を感じるのにも、他者を必要とする。

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。」

 

あなたは対人関係を恐れるあまり、

自分のことを嫌いになっていたのだ。

自分を嫌うことで対人関係を避けていたのだ。

 

劣等感は

「価値」が「より少ない」「感覚」という意味で、

自らの価値判断に関わる言葉。

そしてそれは、

「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なり。

 

劣等感と劣等コンプレックスの違い

劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使いはじめた状態のこと。

 

自慢する人は、劣等感を感じている。

「もしも自慢する人がいるとすれば、

それは劣等感を感じているからにすぎない」

 

「わたしたちの文化の中で、誰がいちばん強いか自問すれば、

赤ん坊であるというのが論理的な答えだろう。

赤ん坊は支配するが、支配されることはない。」

 

「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、

世界の見え方はまったく違ったものになる。

 

だろうな。

 

さしたる理由もなく罵倒されたら腹が立つでしょう?

立ちません。

その人の隠し持つ「目的」を考える。

相手は勝つことによって、自らの力を証明したい、

気にくわないあなたを屈服させたい。

 

怒りとは、所詮目的を叶えるための手段、コミュニケーションの一形態。

 

人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、

すでに権力争いに足を踏みいれている。

 

あなたが正しいと思うのなら、

他の人がどんな意見であれ、そこで完結すべき。

 

誤りを認めること、

謝罪の言葉を述べること、

権力争いから降りること、

これらはいずれも「負け」ではない。

 

健全な劣等感は、

他者との比較の中で生まれるのではなく、

「理想の自分」との比較から生まれるもの、

そして「優越性の追求」とは、

自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、

他者よりも上をめざさんとする競争の意思ではない。

 

 

 

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